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「育休世代」のジレンマ(中野 円佳)

「隣の部署のあの人は、子どもがいるからって、いつも早く帰っててズルいよね」

私が20代半ばのころだったと思うのだけれど、
新卒で入った会社で、同期の女の子がそんなことを言い出して、
自分の耳を疑ったことを思い出す。

確かその時は
「きっとその分お給料が少なかったりするんだろうし、そういうもんなんじゃない?」
と答えたと思うのだけれども、
その後、私が転職したこともあり、
連絡を取らなくなってしまった彼女は、
今どうしているんだろう。

あの頃は、自分が子どもを産むことなんて想像のはるか上の事象であり、
「仕事と育児をどう両立するか」という難問が存在することすら知らなかった。

それでも、その考え方がいつかきっと自分の首を絞めるだろうということは
直感的に想像がついたし、
それは違うだろうよ、まして隣の部署の、
直接仕事で迷惑をこうむっているわけでもない人に対して言うことではないだろうと
思っていたし、現在進行形で思ってもいるのだけれども、
世の中、そんな考えが意外とゴロゴロしていたりするわけで。

今にして思えば、
残業ができないというだけで、責任ある仕事を一切させてもらえないのはどうかと思うし、
そしてそのためにいつまでもお給料が上がらないのもどうなのって感じだし、
そもそもみんな残業しすぎなんだよ!生産性悪いんじゃないの?残業自慢してる場合じゃないんだ!!


……失礼。興奮しました。


さておき。

こんな、子育てをしている人たちが働きにくいことこの上ないこの世の中で、
どうにもならないジレンマを抱えているワーキングマザーたちにフォーカスしたのがこの本。

自分のことを振り返れば、
子どもを産んでからの方が、仕事を好きになったと思う。

妊娠が分かった段階で、
仕事を続けるのか、辞めるのか、子どもを預けるのか、どうするのかを考え、
私は割とあっさり、仕事を続けると決めたけれども、
それでも、仕事と育児の両立という道を、自分で選んだという
ある種の覚悟のようなものを、あの時決めたんだと思う。

正直、そこでどうするかの選択肢もなく
働き続けることが最初から決まっていたダンナの方が、
仕事に対するモチベーションの維持に苦労しているように見えたり見えなかったり。
男性には男性なりの苦労があるんだろうと思いつつ。

ただ、この自分で選んだという事実にこそ、落とし穴もあって、
「自分で選んだんだから(大変でも頑張るしかない、我慢するしかない)」という
言葉たちにがんじがらめになって、
仕事と育児の間で、毎日必死になりながら、
もがいていたりするわけで。

私は仕事をしながら子育てをするというスタイルが自分に向いていると思うけれども、
本当に子どもを預けてまでする仕事なのか、と自問する日々だし、
逆に、子どもを預けてまでしている仕事なのだから、
胸を張って、ママ頑張ってるよと言えるようにありたいと思ったりもする。

でもでも、それでも、
思ったようにいかなくて、どうにもならなくて、
涙を流したことだって、あるわけだよ、何度も。


何度も何度も。


自分は、自分なりに精いっぱい頑張っているのに、どうにもならないという
「悔しさ」を、
きっと社会を変えていくしかないのに、一体何をどうしていけばいいのか皆目見当がつかないという
漠然とした閉塞感を、
なんと研究し、論文として世に送り出し、本にまでしてくれた人がいる。

全くもって納得の内容で、
そうそうその通りと、首がもげるくらい頷きっぱなしの一冊。
妊娠中から育休中に大学院に通ってこの論文を書いたという
著者の中野さんには本当に頭が下がる。

ベースが論文なので、読みにくいところもあるけれども、
本当は多くの人に読んで欲しい。
ワーキングマザーじゃない人にこそ、読んで欲しい。
何を考えて、どんな気持ちで働いているのか、
少しでも考えてもらうきっかけになると期待したい。

本当はきっと、
ワーママは「精一杯頑張ります」って言って
職場は「期待してるよ。でも無理しすぎずにね」と迎えるというのが
ベストバランスだろうと思っていて、
実はそれは超小規模零細企業ながら、うちの会社のことなのだけれども、
この本を読んで改めて、私は恵まれている、と再確認した次第。

この本に関しては
言いたいことが山ほどあって、
語りたいことも山ほどあって、
ブログのエントリ一つじゃ全然おさまらないのだけれども、
自分の娘の世代にまでこんなワケ分からん世の中を引きずってたら、
それはきっと何かが大きく間違ってしまうと思うので、
ちっぽけな自分だけれども、
ワーキングマザーの端くれとしてこれからも頑張っていく所存です。
| book | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

1984 フクシマに生まれて(大野更紗・開沼博)

行動する人は、強い。

行動してきた人たちの言葉には力がある。
そんなことを改めて感じた一冊でした。

もやもやと思考の堂々巡りを繰り返しては、
改善案とも愚痴ともつかないことを吐き出すだけの人(要はワタクシ)とは
違うよね、と。

大野更紗さんと開沼博さんをメインに
色々なゲストを迎える鼎談集ですが、
個人的にも興味のある病児保育のNPO法人フローレンスの駒崎さんとか、
同い年なのね!と驚いたり、
そもそも大野さんと開沼さんは年下だしと
自分に呆れたり。

あぁ、私は今まで
どんだけぼんやりと何もせずに、何も目指さずに生きてきたのか、
なんて反省というか懺悔というか。

例えば、駒崎さんは鼎談の中で
(アンシャンレジム(旧体制・旧秩序)の人たちと対立してしまう時に
気を付けていることは?という問いに対して)

以前はわりと闘う姿勢を前面に押し出していましたが、
最近は必要に駆られて調整屋さん的な側面も身につけました。
アンシャンレジームの人たちに対しては、
「こういう新しい仕組みが出てきていますが、あくまであなたがたのやり方がメインですよ。
でも、新しいものもそれはそれであってもいいですよね」と宥めながら、
一報で新しい仕組みのほうをメインにしていく路線を描くという
小狡いやり方をとっています。
誰かを傷つけて旧体制を壊すというよりは、
いつのまにか新しい仕組みに置き換わっているということを狙おうとしています。


と語っている。
これってまさに、私がもやもやと考えていた
団塊の世代のプライドに対して、時代が変わったということを
どうやって認めてもらえばいいのかという問いに対する
一つの答えであるわけで。

これだけが正解であるわけではないけれども、
私が自分の父親だけを相手に、もやっと口論を挑んでは
やっぱり無理だよコイツラ、なんて愚痴っている間に
彼は着実に前に進んでいる。

もう一つ。
ALSという難病のお母様を介護し、日本ALS協会の理事を務める川口有美子さんの言葉。

私は死の自己決定を批判的に見ていますが、
尊厳死の法制化に賛成の人たちは、尊厳死は「権利」だと言っています。
確かに自己決定は権利であるべきなんですよ。
でも、「権利」はすぐに「義務」にしるかえられるから、
そこはほんとうに慎重にやっていかないといけない。

よく分からない病気になって、お金もないし調子も悪い時に、
これからどうするか自分で決めなさいと言われると
「死にます」とか「やめます」とか消極的なことしか決められないわけ。
「みんなに迷惑かけるけど生きたいです」とか、
「生きるためにみなさんの血税を月々これだけください」とか、言えないでしょう?


私は、死というものに対して淡泊な方だと思っていて、
特に“上から順番”の死というものに対しては
「そういうもの」という意識が強くて、
80歳を超えた自分の祖母は、今は元気だけれども、
身体中にチューブをつないでまで、一分一秒でも長生きを、とまでは思えなくて。

尊厳死に対してもどちらかというと肯定的な意見を持っていたのだけれど、
ちょっとこの言葉は効いた。
協調性やまわりの空気を察することを必要以上に求められる
この日本社会で、尊厳死の権利が義務になっていくのは容易に想像がつくし、
権利の強さと怖さを、ちゃんと認識してこなかったのは
幸いにも自分が“普通”に生きられているからだ、ということに
さっぱり気づいていなかった、という至らなさに気づかされた。

そのほかにも興味深い鼎談は多くて、
中でも茂木健一郎さんの「システムを変えることは諦めた」という言葉には
なんというか少しやりきれないものを感じたりもするのだけれど、
最後にもう一度、駒崎さんの言葉を引用して、希望に変えていきたいと思う。

(明治維新の志士は四千人くらい、幕末の人口は四千万人、という話から)
これはすなわち、四千万人のうちの四千人くらいが死ぬ気でがんばれば、革命は起こせるということです。
人口の一万分の一ですよ。今で言えば一万二千人くらい。
一万二千人、僕みたいに社会を変えてやるという人間がいればほんとうに変わるんじゃないかと思うと、
そんなに多いという感じもしないでしょう?
だって、僕のツイッターのフォロワーは三万三千人いるんですよ。


フォロワー33000人のうちの一人として、
私は何かできるんだろうか。
少しでも行動に移せたらいいなんて思いながら、
重たいお腹と重たい腰がなかなか上がらなかったりはするのだけれども。
| book | 11:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

“普通に”生活するということ

すっかりブログを放置している間に
実は二人目を妊娠しまして、
4月から産休に入りました。

3歳児の子育てをしながらの妊婦生活は
思った以上にキツかったりして
ダンナと二人ドタバタ…というかジタバタしながら
毎日をなんとか乗り切ってきた、という感じです。

なんか、おかしくないか?
なんでこんなに大変なんだっけ?

なーんて
社会ってさ、会社ってさ、って
悶々としていた時に出会ったのがこの本でした。

あまりに思うところが多くて
産休に入ったらまとめて色々書こう!と思っていたことを
やっとまとめてみようと思います。

日本では家事労働が軽視されている、ということを
現在の実態や、歴史、社会構造などから紐解いていく一冊。
個人的にはこの「家事労働ハラスメント」というタイトルは
内容とギャップがあると思っているのですが…。

子どもを産んでも、仕事は続けたいよね。
子どもは二人欲しいよね。
保育園に入れたいよね。
保育園は家の近くがいいよね。
妊娠中、つわりで大変だからパパにも早めに帰ってきて欲しいよね。
協力して欲しいよね。

これって、贅沢なんでしょうか?
保育園はなかなか入れないのが常識。
4月か5月生まれを狙って、翌年の0歳児入園を目指すとか、
途中から認証保育園とかに預けてポイントを稼がなきゃ入れないとかさ。
それが常識でいいんでしたっけ?

パパの定時帰りは難しいよね…。
って、本当にそうなんでしたっけ?

確かに、出産後も働き続ける女性が増えたのは
ここ最近の話かもしれないけれども、
家族そろってみんなで夕飯食べたいとかさ、
それってそんなに大それた希望で、
叶えるのが難しいもんなんでしたっけ?

違うよね、なんか違うよね。

と、この悶々とした違和感の原因を
キチンと分析してくれた本だったりします。

もちろんパパの職種にもよるんだろうけれども、
長時間労働が当たり前、
ブラック企業なんて言葉がはやっちゃうこの時代に生きていて
その中でも
定時きっかりでお迎えダッシュして、
頑張れる範囲で精一杯頑張りつつも、鈍感力をさりげなく磨き、
両足で踏ん張って毎日を過ごしてきて、
そしてまた来年からはそんな日々に突撃するだろう
ワーキングマザーの一員として、
(もうすぐ)二人の子どもの母として、
未来の日本の方向をちょびっとでも変えられたら、
そんな風に、切に思うのです。
| book | 11:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

小説家に、なりたかった。

子供のころ一瞬だけ抱えた、つたない夢ではあるのだけれど、
小学生ながら、その夢を聞いた親や親せきの
「おー、そりゃすごい」という言葉についてきた(笑)に
「お前には無理だ」という気配を濃厚に感じ取り、
あっさりとその夢を撤回し、
「とにかくこれなのだ」というモノを思いつかないままに
ぼんやりと生きていくわけである。

いろんなことが巡り巡って現在、
コピーライターの端くれの端くれとして
文章を書いてお金をいただくところに辿りつき、
かつてのSE経験も
自らを特徴づける糧にすることができていて、
運よく、納得どころに、落ち着けたものだと自分でも思う。

子育ては洗脳だ、というのは
常に思ってきたことであり、
何より自分自身に親(というより母)の影響は色濃く出ている。

大学受験は大変だからと、中高一貫校を受験させた母。
その仕事は大変だよと、言っていた母。

無意識というより、もはや反射的に“大変さ”をお避ける習性が
骨の底まで染みついている。

けれども、これまた身に染みて知っているのは
大変さを乗り越えないと、「すげーーーー楽しい!」こともなかったりするのだ。

だっていつも思い出すダンスの思い出は、
すげーーー大変な練習だったり、
もう二度としない!と思う裏方仕事だったりとセットで、
それを乗り越えたからこその
アドレナリン放出があるわけだと。

なぜ、仕事においては、大変さばかりに注目して、
その先にある楽しさのことを教えてくれなかったのか。
母に文句を言いたい気持ちが一つもないと言ったら嘘になるけれども
母なりに一生懸命、子供を思っていたことは分かるし、
一般事務からの専業主婦であった母に
「女性としてのキャリア形成」まで考え抜いた子育てを求めるのは
酷だろうとも思う。
(むしろ問題は子育てにおける父の不在かもしれない)

前置きばかり長くなってきたけれど、
ワーク・シフトである。

今まで通りの働き方では、哀れな未来が待っているよと
具体的なイメージを描きつつ、
自分の得意分野をすっごく伸ばして頑張ろうねと、
人生で何が大切なのかを自分で選ぶようにしようねと
ざーーっくりいうとそんなアドバイスがされていて、
正論すぎるほど正論であり、納得ではあるのだけれど。

でも、自分はこれだ!ということを
お金その他もろもろのデメリットを乗り越えてまで選べる人って
どれだけいるんだろうか?
それを見つけられること自体がとても恵まれていることだと
この著者は気付いているんだろうか。
ということを、ツラツラと述べてきた生い立ちを持つ私としては考えてしまった。

「仕事が本当に好き」という人は
宝くじが当たった時に、このお金をどう仕事に使おうか考える人だと
思っているのだけれど、
そんな人そうそういない。
大体、どこでも交わされる会話の常として
「宝くじ当たったらまず会社を辞めたい」というのは
よくある話。

そもそもこの本で対象とする読者自体が、
世の中でも上の方に属する人たちだと思うのだけれど
研究者だというには、調査対象があまりに“意識高い系”な人に偏っていないか?
働き方シンポジウムに積極的に参加してきた人の言葉ばかりというのは
ちょっと足りなくはないんだろうか?
その辺で働いている人に話を聞きにいったりはしないの?

何よりも、シフトに成功した女性(子育てと両立している)の例が
みんな小説家やコラムニストばっかりってのはどうなの?
事務として働いていたけれど、経理も面白そうだと思って
勉強して転職しました、というのも立派な“シフト”のはずだし、
そういう例なんていくらでもありそうだけど。
(これって、日本と海外の違いだったりする?)

極端な世界を描くことで警鐘を鳴らすのが主旨というのは分かる。
でもどうしても、自分たちが最初から無視されている気持ちになってしまう。
被害者妄想かもしれないけれど。

そして、肝心な“自分はどう動くのか”だけれど、
働く母親として、今の日本社会の限界をひしひしと感じる今日この頃。
もっとスキルアップするために転職…とか思っても、
「子供が小さい」「定時退社」という大きなハードルが立ちはだかる。
今の環境で、できる限りのスキルアップをする、ってのを頑張るしかないだろう。
(まぁ、ぼんやりしていると漫然と仕事が通り過ぎて行ってしまうので
意識ひとつで変えられることは多い)

とはいえ、
私は“何を選択するか”という点において
仕事も子育ても、どちらもほどほどにやりたい、というのが
偽らざる本音で、
この本では「それじゃ駄目よ」と言われている気持ちなのだけれど、
そういう選択もしちゃいけないんだろうか。

自分を必要とされていて、定時くらいには基本上がれて、
子供と一緒の時間も持てて
時々旅行に行ける。
そういう生活をしたいんですが、ダメですか?
落ちこぼれるしかないんでしょうか?

この本が言わんとするところは多いに納得する。
これからの働き方を考えるうえでは、
一度読んでおくといい本だとは思う。

ただ、自分自身で選択を!と言われているのに、
自分が考えている選択肢は「それじゃダメだから」と最初から言われているような
多分そんな違和感を、私は感じてしまった。
とはいえこのままじゃ行先厳しいのも事実ではあるので、
さて、それをどうしようか、ってのは今の課題。

もうひとつ
子供の好奇心を、夢中になることを、邪魔しないように、
それは“大変だ”と言いすぎないように、
興味関心を持つ分野を“仕事にするいろんな道”を案内できるように、
ありたい。


ちなみに、インターネットやクラウドサービスの普及も
働き方を変える大きな要因として挙げられているのだけれど、
これまた日本社会の限界を大いに感じているので、
これはこれでまた別に書こうかと。
| book | 14:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

伊坂幸太郎にみる、自分的成長

伊坂 幸太郎
集英社
¥ 1,470
(2006-03-24)

伊坂 幸太郎
講談社
¥ 1,575
(2004-05-21)

明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?


もう5年も前になるのだけれど
初めて『終末のフール』を読んだとき
このセリフがどうにもかっこよくて
ものすごく衝撃で、
そうだ、私も明日死ぬとしても変わらないような生き方をしたいんだ、と
思ったりした。

セリフそのものを暗記まではしていなかったけれど
それはこの5年間、
記憶のどこかにへばりついて
自分にとっての「後悔しない人生」の目標みたいな気分でいた。

地球が終わる前を描いたこの作品を
大震災のあとである今、読み返したのには
深い意味は決してなくて
伊坂さんのエッセイ集『3652』を読んだら
久しぶりに読みたくなった、というだけだ。

久しぶりに読んだら
あのセリフは確かにかっこよくて、
それはもう登場人物である16歳の少年を
メロメロにするくらいに甘ったるいセリフではあるのだけれど
どうにもそれをそのまま、
かっこいい〜〜〜!!と思わなくなるくらい
5年間で私も変わったりしたらしい。

明日死ぬとしたら、生き方なんて変わって当たり前じゃないか。

これから先の自分にある「いつか」を描きながら
誰だって生きている。
明日死ぬというのなら、プランが変更になって当然なのだと。
そう、思う。

3652のエッセイ集は
伊坂さんファンの自分としては大いに楽しめたけれども
万人に薦められるような作品かというと
残念ながら、そうとは言えないように思えた。

せっかくコアなファンに向けた1冊なのだから
多少値があがっても
もっと凝ったつくりにしてしまってもいいのに、と
身勝手なことばかり思ってみたり。

もうひとつ再読した『チルドレン』。
あのころから好きだった言葉は、今も好きだった。

「そもそも、大人が恰好良ければ、子供はぐれねえんだよ」


息子がぐれないように、頑張ろうと思う。

| book | 17:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

冠・婚・葬・祭(中島京子)


結婚式とお葬式は、人の人生における二大ワガママだ、と思っていた。

ワガママ、というと大いに語弊はあるのだけれど、
招かれた方が著しく断りにくい、という意味において
相手の時間を自分に対して無理強いする二大イベントだ、なんて。

得てして、結婚式ではなく
遠い親戚だとかのお葬式だったりで
そういうことを感じるものなわけだけれども。

冠婚葬祭なんて四字熟語にしても、
「冠婚葬祭で使えるスーツ」ってのはすなわち
「お葬式に着ていける黒のスーツ」と同義だったりと
20代半ばに初めて友達の結婚式に呼ばれて
髪をセットしたり、キレイなドレスを買ったりと浮かれてた雰囲気というよりは、
堅苦しい、昔ながらの、面倒な、というイメージばかりが先立つ。

けれどきっと、
私がそう感じているお葬式にしたってなんだって、
きっと現代の姿を反映させたものなんだろうなと、
この本を読んでいてふとそう思った。

冠、婚、葬、祭それぞれを取り上げた短篇集。

中島さんならではの少し斜めに構えた視点で
でも、今の時代の空気みたいなものを
すごく上手くすくい上げている印象。

『婚』に出てくるお見合いおばさんとか、
どうしても結婚したい(というか結婚式を挙げたい)40くらいの女の人とか、
今の風潮や傾向を
ありそうだけどなさそうでしょ、というギリギリラインで
皮肉っている感じがなんとも言えず面白い。

時代は変わっていく。

それって当たり前のことで、
「変わる」すなわち「よくなっている」と思いがちだったりする。
つまり、昔より自分たちの方が絶対いいのだ、と
うっかり思い込んでしまいそうになるのだけれど、
単純にすべてそうとは言えないのかもしれないと
こっそり諭されている気持ちになった。

| book | 18:39 | comments(1) | trackbacks(1) | pookmark |

4月読了本

最近、本の紹介をなかなかできてないです。
読んでいないわけではないのですが、
なんというか、しっかりエントリにするほど
おおおー!!と思える本に出会えてなかったり
エントリにするだけの気力がなかったり
感動を自己完結してしまったり。

今、本の管理にはブクログを使っているのですが、
「今月読んだ本をまとめる」みたいな機能があることに気づいたので(遅)
ちょっと紹介してみようかと。

4月に読んだ本はこちら。

kyoko22の本棚
2010年04月
アイテム数:10
女中譚
暗号解読〈上〉 (新潮文庫)
サクリファイス (新潮文庫)
暗号解読 下巻 (新潮文庫 シ 37-3)
武士道セブンティーン
三国志(5)(吉川英治歴史時代文庫 37)
間違う力 オンリーワンの10か条 (Base Camp)
鬼平犯科帳〈12〉 (文春文庫)
火車 (新潮文庫)
吉原御免状 (新潮文庫)

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よかったのは
なんといっても『サクリファイス』。
あー、なんで今まで読んでなかったんだ!
文庫化されるのをチマチマ待ってた自分に喝を入れたい。

あとは高野さんの『間違う力』は近年稀に見る残念な仕上がり。
頑張ってはいるんだけれども
誰に勧めていいのやら。
高野さんを知ってる人にも知らない人にもオススメできない…。
次作、期待してます。


ちなみに三国志&鬼平犯科帳は今年シリーズ全部読破を目標に掲げて
頑張ってるところです。
このペースでいけば、なんとか大丈夫そうかなー。

| book | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

平成大家族(中島京子)

中島 京子
集英社
¥ 1,680
(2008-02-05)

引きこもりから介護、離婚、ベンチャー起業、倒産、お受験、イジメ、更にはお笑いブームまで?
最近の話題を1家族に超凝縮してお届け。

中島さん、面白いです。大好きです。

これだけの要素を詰め込んでるのに、
ストーリー的にいっぱいいっぱい感がなくて、
ちゃんとどの話も理解できているのってスゴイ。
しかも笑える。

あくまでも
作り物のストーリーなのだけれど
1つずつは全然ありそうで、その辺に転がってそうな話で、
だからこそ共感できるし
ある種自虐的な面白さでもある。

次女・友恵の不妊治療の話とかさ、
その時の本人の必死さと、あとから見た滑稽さとかうますぎだし。
しかも、なんというか
自分が友恵だったら、同じように思って
同じように必死になって、自分を追い詰めてたりしそうだなーとか思う。

どの話も自分から半径3mくらいの身近さで
起こりそうなエピソードとして受け取れる。

家族って、何でも言えちゃうところでありながら、
家族だからこそ超えられない一線みたいなのってくっきりしていたりして、
友達には気楽に話せるけれど
親には死んでも言えないなんてこと山ほどある。

結婚して、家を出て
逆になんだか自分の親とか妹とかと
家にいた頃より仲良くなった気がする。

やっぱり一緒に暮らしていると不満もあったりするしねぇ。
いなくなって初めて分かる価値というか。苦笑。

あぁ自分も、明るい家族を築けるように。
肩に力を入れすぎずに、努力もほどほどに。

ともあれ、中島さん的ユーモアが効いてておもしろいです。
このところのイチオシ。

| book | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

パラレルワールド・ラブストーリー(東野圭吾)

4062637251パラレルワ−ルド・ラブスト−リ− (講談社文庫)
講談社 1998-03-13

by G-Tools

友情より愛情でしょ、と言っていたことを思い出した。

だって、飲みに行く約束を1度くらいドタキャンしても
友情は壊れないけれども
恋愛はその1度が致命傷だったりするから、と。

今にして思えば
そう言うことで、友情の篤さを確認したいポーズだった気はするけれど
例えば、
仲の良い友人と飲みに行く予定の日に
今まさに狙っている男の人から飲みに誘われたら
間違いなく男をとるよな、という意味において
きっとこれはこれで正しい。笑。

正論ぶって書いておくならば
友情と愛情なんて同じスケールでなんて図れるわけがなくて。

でもそれを、無理に図らなければならないとしたら、
どうすればいいんだろうか。

親友の恋人を本当に好きになってしまったら。
友情と愛情はどう図ればいいんだろう。

これは、親友の恋人だったはずの女性が
いつの間にか自分の恋人になっている。
一体その間に何が起きたのか…という謎を解いていくミステリー。

お互いがその女性を諦めるとかは、どうなのか、とか
それってその恋人が逆にかわいそうじゃないか、とか
色々考えはするのだけれど
更にそこで
主人公の男2人の設定が絶妙で。

身体にハンディキャップを持つ智彦に、やっとできた恋人・麻由子。
恋愛面では優位にある崇史。
智彦に恋人ができたことを喜ぶのと、麻由子が好きなのと。
麻由子が智彦を好きなのは恋愛なのか、同情は入っていないのか…。
彼より自分のが彼女にふさわしいと、思ってしまう気持ち。
それを認めたくないのと、
麻由子が智彦を振ることへの“罪悪感”。

そういう関係性のバランスが絶妙で、
この物語の非現実さを、
かなり現実に寄せているんじゃないかと思う。

実はヒロインの麻由子はイマイチ好きになれなくて、
ザ・理想像というか。
ちょっと男性目線の女性像かな、という気がする。

それにしても久しぶりに東野さんを読みました。
これもかーなーりー前からチェックしていて
やっと読んだ、という感じ。

日本語が読みやすいですよね。
誤解を恐れずに書けば
よくも悪くも癖がないと言うか。
そこがステキなところだけれど、少し物足りない気もしてしまった。

人間の記憶ってすごく曖昧で、
それでも、そこを拠り所に生きていくしかなくて
それが崩れてしまったらどうにもならない。
サラサラと楽しめるけれども
あとから考えるとそういうのって、かなり怖い。

友情と愛情を選ばなければならないシーンに
遭遇せずにここまで生きてこられてよかった。

友達とは異性の好みが違った方がいい。
まったくだ。

| book | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

やさぐれるには、まだ早い!(豊島ミホ)

仕事やめたーい、という嘆きは若さだったんだな、と。

L25で連載していたエッセイをまとめたもの。
あとがきでご本人も書いているけれども、
内容がイチイチ若い。
若いというか、青い。

それも、高校生が夢見ちゃってるような
清々しい若さじゃなくて
20代でなんとなく世の中知ったつもりで
話をしている感じの
ちょっと痛々しい若さだ。

自分もかつてそうだったんだろうなと
懐かしいやら、恥ずかしいやら。

やっぱりあとがきでご本人も特に今と違う、と書いていたけれど
一番気になったのが、
友達から仕事やめたーい、っていう電話がかかってきた、っていうハナシだった。

今の仕事に向いている気がしないし、給料も安いし、仕事をやめたい、という友達に
他の仕事も大変なんだよ、と
自分だって小説家に向いているかどうかは分からないし、

どこかに「向いている」仕事があって、それに就けば、誰でもやりがいと楽しさを感じて働けるというのは、誰かがつくった幻想だ。


と説得した、っていうハナシなんだけれども。

言ってることは分かるんだけれども
そもそも、仕事やめたーい、という友達が求めているのは
そういうハナシじゃなくて、
そうだよねー、大変だよねー、という共感だと思う、とか。
本当に向いていないならばさっさと転職すべきだ、とか。
あらすじだけでは上手く伝わらないけれどやたらと違和感を感じた。

それでふと気づいたのだけれど
そういえば最近「仕事やめたーい」という嘆きをあまり聞かなくなった気がするのだ。

そりゃあ、仕事はやめたーいのだけれども
それって宝くじで3億円当たりたーい、みたいな
夢だよね、ってどこかで線引きをきっちりできるようになっていて
仕事は大変だけれども
どうしてもやめたいほどの仕事だった人たちは
多分、みんなそれこそ転職して
そこそこ自分にとって折り合いをつけられる職場にはいる、ようにも思う。
もしくは
仕事やめたーいと嘆くことの不毛さを身にしみて実感しているだけかもしれないけれど。苦笑。

どちらかというと、
仕事をやめたいという夢物語の前に
現実問題として、働き続けたいのに
出産・育児で仕事を続けられないかもしれない、という
切羽詰った悩みだったりして。

落ち着いたというのか、成長したというのか
そういうお年頃というか。

若かったり青かったりしたけれど
あの頃はもっとガッツリ踏み込んで語ることが多くて、
楽しかったなと、懐かしく思う。

| book | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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